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いとしさと切なさとベストプレイスと

日記雑記思考ログ

No Borderと言う、お題にそって12人のブロガーがエントリを書く企画があります。アナログゲームオフで親交のある@shinzakiさんや@teracoさんが参加しているブログ企画です。
第3回:自分のベストプレイスというのは今まさに探し求めている最中なので、これを機に過去の住居を棚卸しがてら振り返ってみたいと思います。
タイトルはホッテントリメーカーをお借りしました。

結論から言うと

  • インターネットが快適に使えて
  • 気軽に宅オフが出来て
  • 宅オフが出来る仲間が近くにいて
  • 治安が良くて
  • 食べ物が美味しい国で
  • 仕事があって
  • かつその仕事で無理やり転勤させられたりしない

と言う条件になりました。

今まで住んだ部屋

日本では結局ずっと新宿にある某社に勤めていた訳だけど、転勤なしにも関わらず単身物件3部屋に住んだ。


最初の部屋は某西武線沿線。入社数ヶ月前に会社がレオパレスの物件を内定者人数分確保して連絡して来たのだけれど、どう考えても家賃や立地の関係からいいとは思えなかった。それで2月頭に親とともに会社から30分ほどのターミナル駅にあるアパマンショップに行き、その物件にめぐり合うことに。
最初はアパマンショップもびっみょーな物件しか出して来なかった。「出直すか…」と思いつつとりあえず親をその場に残して近くの別の不動産の店先にあるチラシなどをひょいひょいっと確保して戻って来たところ、その様子を見た店員がとっておきの物件を出して来た。ネットで問い合わせがあるために秘蔵しておいたらしい新築物件。木造だけど広くて安く、その日のうちに未完成状態を内覧して確定になりました。
親を連れて行ったのはあくまで真剣さアピールのつもりだったけれど、思いがけず一人で行っては出来ない作戦を遂行出来たので飛行機代のもとは取った気がする。


その部屋に住んだのが3年ちょっと住んで一番長かった。部屋自体は良かったのだけど、ある時帰りに暴漢に遭遇し、実被害はなかったものの改めて帰り道を見ると見通しの悪い曲がりくねった道であることに恐怖を感じ、翌月には引っ越し。次は練馬で駅から5分・区役所すぐの安全なところにしたものの、更新料を払って住み続けたいとは思わなかったので2年で更新せず退去。
1Kを謳っているにも関わらず冷蔵庫をおける場所が居室内というとても嫌な間取りで、その冷蔵庫駆動音のために耳栓をして寝るという習慣がついた。この習慣のおかげで3人部屋だったフィリピン留学の際、夜遅くまで活動している韓国人との同室でもきちんと睡眠を取り日々の授業に集中できた、ということを考えると人生は本当に塞翁が馬だなぁ、と考えてしまう。


最後は中野区と渋谷区の境目のお宅。この部屋が一番良かった!卓を置いて4〜6人がアナログゲームを出来るダイニングルームがあり、新宿までバス1本で15分と人を呼びやすい立地だったため大体月1ペースで宅オフを開催。また住所が中野区のためなかのZEROを借りてオフ会も開催していた。結局全3回と少なかったけれど、1月には2日間でユニークユーザ50人のオフ会を開けたのでいい経験になったと思う。
それから、フジケンさん中野ドミニオン大会参加を機にドミニオンクラスタとの交流が出来たのだけど、おそらく私が柏木に自転車で行ける範囲に住んでいなかったら夜遅くまで遊んでなかったんじゃないかと思う。台所も広かったので人を呼んで料理を出来るのが楽しかったなぁ。3.11の地震の翌日・翌々日にも元々予定していた宅オフをしていた。ごたごたしているなか来てくれた友人達には本当に感謝。駆除業者から買い付けた蝦夷鹿肉が無駄にならなくて済んだのも嬉しい。(数年来暖めていた野望だったんですよー、鹿肉オフ。でもキロ単位でしか売ってくれないからある程度の人数がいないと開催できないし、下ごしらえなどを考えると他人の家で開催するのも難しかった)


そんなこんなで結構引越しのために時間を割いてきたので、東京の物件探しノウハウは結構知っている。昔mixiに書いたので焼きなおして公開するかも知れない。書かないかも知れない。
とりあえず今ぱっと出せる名言は「自転車は不動産屋と鉄道に対するセキュリティホールだったりする」です。


中野の部屋はとても快適だったけれど、「最低2年はシンガポールで働く」と決めたので当然その部屋は退去しなければならない。それは悲しいことだったのだけど、もし会社を辞めていなかったとしてもその部屋は退去する運命にあった。というのは3.11の地震の後で会社から「今後東京が災害にあっても対応が出来るように部署の半分を大阪に異動する」と言う方針が出たから。もちろん家族が東京にいる人はそう簡単に転勤はさせられない、そして私の後任として選ばれた後輩君は大阪出身の子だった。地震の前に退職を言い出していなければ間違いなく転勤辞令を受け取っていたことだろう。転勤が嫌だから退職、という形にならなくてまだしも良かった。


英語留学の3ヶ月間のフィリピン生活では、ネットが遅いかほぼ使えない&フィリピン料理は肉の加熱しすぎが許せないということで「この国には住めんなぁ」と思った。気温とかは別に気にならなかった。食べ物とネットがネック。
一時帰国の今は札幌の親の家にいるのだけれど、今は札幌で仕事を探す気は全くないので当然ながら「ここでは働けんなぁ」的な意味で住めない。


そんなこんなで、以上からまとめると冒頭に書いた条件となった。友人と仕事の面をクリアすればシンガポールはベストプレイスになり得るような気がする。